ria Yoga life

丁寧に生きシンプルに暮らす。ヨーガを学び、伝えているriaのつれづれ。

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帰国して1ヶ月以上経ち、じわりじわりと体調が悪くなっていく。
年末年始は家族の用事で忙殺され、眉間に皺が増えた。呆け老人の世話は忍耐とおおらかな時間観念がいる。『いまこの瞬間』しか彼らには存在しない。以前言った事、伝えた事、確認した事はその瞬間だけ有効で、次の瞬間にはもう忘れている。何度も繰り返して話し安心させたことを5分もしないうちにどうしようかと大声で話し始める。また一から話す、という事を一日のうちに何度も、この1週間ぐらい毎日繰り返していて、さすがの私も疲労困憊だ。表情が乏しくなる。早くインドに帰りたい。

ストレスもあるだろうが、体調がジワジワと悪くなるのには閉口する。
日本の食べ物と水はどうなってしまったのだろう。

パンチャカルマをして、身体の中を浄化してキレイにして、インドではサトヴィックな食事を心がけていた。おかげで体調は良く、白砂糖ふんだんに使ったスイーツを食べてもアレルギー症状が出る事はなかった。

身体の中を浄化したおかげで、自分にとって悪いものを敏感に感じとり、排出する力が高まったのだろう。
それだけ日本の食材が汚染されているということか。
日に日に具合が悪くなっていくので本当に辛い。どうすればいいんだろう。日本から離れるしか無いのか。
本当に、本当に、、日本の食べ物、水、土、空気、、いったいどうなってしまったの?
何故みんな平気なんだろう?
身体中に赤い湿疹が出来て時々痒い。うーん、、、なんだろう。。

アレルギーが出ているので鼻呼吸が出来ない。どうしても口で呼吸するため喉をやられてしまった。
アレルギーが出ると頭の中もぼんやりして、やる気が起きない。喉が痛すぎて辛い。肺が炎症を起こしているのが感じられる。やばいな…苦しい。

体調が悪いと、どうしてもマイナス思考に陥る。

そんなときにヨガの練習はとても有効だ。私にヨガがあって本当に良かった。

朝起きてお湯を沸かし、ぼんやりと明け行く東の空を見ながら白湯を飲んでいるときからもう心の中でマントラを唱えている。これはもう癖になった。
身支度を整えてから祭壇に花を捧げ灯をともして神に祈りを捧げる。バクティヨガである。
リシケシでバクティヨガに目覚めて以来、毎朝かかさない。
ガネーシャ、シバ、ドゥルガのマントラをルドラクシャを使い108回ずつ唱える。
神に祈りを捧げる事は、自分以外の存在に頼ったりすがったり帰依する事ではない。
自分に内在する、ガネーシャに象徴されるエネルギー、シバに象徴されるエネルギー、そしてドゥルガに象徴されるエネルギーを呼び覚ますものだ、と現在わたしは感じている。
バジャンを捧げることでエゴが鳴りを潜め、拡がるのだ。
チャンティングすることで身体にその振動が伝わり広がり、細胞が震えだし、パンチャコーシャの一番内側であるアナンダマヤコーシャに気づく事が出来る。

今朝は途中で喉が痛すぎて引っかかって苦しかった。謳えないなんて…と悲しく思うが、仕方ないので心の中で謳った。

バクティヨガをしてからアサナの練習をすると集中力が比ではない。

瞑想は時には迷宮の中に入り込むことが最近ではしばしば。

世俗のことに意識が向き過ぎているのだ。とはいえ、世俗に生きているので疎かには出来ない。この兼ね合いが私は苦手だ。

心休まるときが無い。いつも緊張している。自分の場所がない。一人になりたい。

私の場所を作りたい。

ああ、いまはっきりと思った。

リシケシの当たると評判のジョーティッシュで言われた事が鮮やかに蘇る。
そういうことか。

とりあえず来月からのゴアでの練習に備えよう。
そう思うと心が少し軽くなる。しょうがない、だって私はワガママで自分勝手なのだから。


そしてこんな状況もこんな毎日も、後から思い返すと大切な日々だったのだと懐かしく思い出すのだろう。

911で亡くなった男性のメッセージを思い出す。
『……(家族の名前を順番に呼んで)ヒドイことをたくさん言ってごめんよ。かけがえのない大切な時間だと気づいていなかったんだ。愛してるよ』